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「雑巾がけ」をするだけで生活が一変した意外な理由

雑巾がけのイメージ

皆さんは、「雑巾がけ」をしたことがあるだろうか。

多分多くの日本人は、「ある」と答えるのではなかろうか。というのも、日本では小学生時代から自分の教室を掃除するのが当たり前になっていて、学校教育の一環として「雑巾がけ」は多くの人が経験したのではないだろうか。

ちまちまとはいえ、この家電全盛の時代に、雑巾がけなんてやっている人はそう多くはないだろう。

イマドキ、拭き掃除なんてロボット掃除機まかせなんて方も多い。薄汚れた雑巾を取り出してえっちらほっちら床掃除をするなんて、一苦労だ。

それに、小学生の時の雑巾がけなんて、あまりいい思い出がない。汚い雑巾を触るのすらイヤで仕方なかった。

お坊さんの本で思い立つ

でも、あることをきっかけに、ふと雑巾がけをしてみようと思い立った。

それは、あるエライお坊さんの書いた本を読んだからだ。禅寺のお坊さんたちは、今の時代も一生懸命雑巾で床を拭いている。それも心を整えるための修行なのだという。

確かに、京都のお寺なんかで見るお寺の床は使い込まれていても、ピカピカに磨き上げられている。チリひとつないようにすら見える。なんだか、すがすがしい。

心を整える修行か。ストレスで心が乱れまくっていた僕にはちょうどいい。

「やってみよう」と思い、100円ショップで雑巾を買ってみた。

水で濡らして、ギュッと絞る。久しぶりの感覚にワクワクする。

両手で床を拭きあげていく。部屋の隅から隅へ、ハイハイするような恰好で全身を使って。

雑巾がけで気付いたこと

久しぶりに雑巾を手にしてみて、気づいたことがいくつかあった。

一つは、「けっこう運動になる」ということだ。

先ほども申し上げた通り、雑巾がけをするには全身を使って床を磨いていく必要がある。これが、ジムで筋トレをするのに負けず劣らず、結構力作業だ。

無心になって部屋を隅々まで拭き掃除していると、息が上がり、額に汗がにじむ。運動不足にはきつい。

でも、久しぶりにスポーツで汗を流した後のように、身体が温まった。

ちゃくちゃもう一つは、「汚れがめちゃくちゃ良く見える」ということだ。

床の汚れなんてものは、普段生活していてじっくり近くで見るなんてことはない。

というか、見たくないから目を背けているというほうが正しいかもしれない。

クイックルワイパーで、立ちながら掃除することもあるが、その時も目線は普段通りだ。でも、雑巾がけとなるとそうはいかない。

床にキスでもするんじゃないかってくらい、すれすれの目線で磨いていくのだから、いやでも汚れが目に入る。

でもそうしていると、「ここ、こんなに汚れていたんだ」「今後から注意しよう」なんていう風に、今までにない発見があった。

もう一つは、というか、これは雑巾がけの総合的な効能ともいえるのだが、「とてつもなく気分が爽快になる」ということだ。

久しぶりにスポーツした時のように体がポカポカあったまり、さらには今まで気が付かなかった汚れにも気づいた。

そして、やり終えると、床はピッカピカになっている。なんだか、気分がとっても爽快だ。

ミニマルだけど万能

掃除機なんかと違って、布一枚の雑巾は場所も取らない。終わったら洗剤を入れたタライに浸して、それから絞って干しておくだけだ。

かもしれない。ミニマルだけど、万能。それが雑巾の魅力

禅宗では、掃除や炊事といった日常の雑務ですら、「作務」といって重要な修行とされているのだという。修行だから、床が汚れていなくても、雑巾がけをするのだと。

僕は精神科医をしているが、「部屋が汚くなったら心も乱れているサイン。部屋をきれいにすると心も整う」と患者さんに伝えることがある。事実、精神状態が良くない患者さんの部屋は、乱れに乱れまくっていることはよくある。

だから、「掃除は修行」という禅の教えは、しっくりくる。雑巾がけをすることで、心が磨かれていくのは、ほんとうのことだと思う。

か。雑巾がけをすれば、部屋もきれいになり、運動不足の解消にもなるし、心だって整っていく。床を布で拭く、それだけのことなのに、なんて奥が深いんだろう

あの日以来、僕は毎日のように雑巾がけをして、心を整えるようにしている。

磨き上げた部屋に立ち、窓を開けると、清浄な風が吹き抜けていく。

あの日以来、「雑巾がけ」は、地味かもしれないが、僕の大切なルーティンになった。

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